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『カラマーゾフの兄弟』 この長老も彼の前ではやはり一個の人間であることなぞ、少しも彼を困惑させなかった。 「同じことだ。長老は聖人で、御心の中には万人にとっての更正の秘密と、最後にこの地上に真実を確立する力とが隠されているのだ。やがてみんなが聖人になって、互いに愛し合うようになり、金持ちも貧乏人も、偉い人も虐げられている人もいなくなって、あらゆる人が神の子となり、本当のキリストの王国が訪れることだろう」 こんな夢をアリョーシャの心は描くのだった。 誰をも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。 まさしく腹を立てるのは楽しいものです。実にうまいことをおっしゃる。今まできいたことがないほどです。まさに、まさにわたしはこれまでの一生、楽しくなるほど腹を立てつづけてきました。美学のために腹を立てていたんです。なにしろ、楽しいだけじゃなく、腹を立てた姿というのは、時によると格好いいもんですからな、長老さま、あなたはこれをお忘れでしたよ、格好いいという点を! 民衆には忍耐強い無言の悲しみがある。その悲しみは心のうちに沈潜し、沈黙してしまう。だが、病的なほどはげしい悲しみもある。これがいったん涙となってほとばしりでると、その瞬間から哀訴に変わってゆくのだ。これは特に女性に見られる。しかし、無言の悲しみより、この方が楽なわけではない。哀訴を癒すには、いっそう心を苦しめ、張り裂けさせるよりほかにない。このような悲しみは慰めをも望まず、しょせん癒しえぬという気持に養われている。哀訴は傷口をたえず刺激していたい欲求でしかないのだ。 かりに幸福に行きつけぬとしても、自分が正しい道に立っていることを常に肝に銘じて、それからはずれぬように勤めることですな。肝心なのは、嘘を避けることです、いっさいの嘘を、特に自分自身に対する嘘をね。自分の嘘を監視し、毎時毎分それを見つめるようになさい。また、他人に対しても、自分に対しても、嫌悪の気持はいだかぬことです。内心おのれが疎ましく見えるということは、あなたがそれに気づいたという一事だけで、すでに清められるのです。恐れもやはり避けるようになさい。もっとも、恐れというのはいっさいの嘘のもたらす結果でしかありませんがの。 なあ、アリョーシャ、屈辱だよ、今だって屈辱に泣いているのさ。この地上で人間は、恐ろしいほどいろいろなことに堪えていかなけりゃいけないんだ。人間には恐ろしいほどたくさん災厄がふりかかるんだよ! この俺を、コニャックばかり飲んで放蕩の限りをつくしている、将校の肩章をつけたただの下種野朗にすぎない、なんて思わないでくれ。俺はね、ほとんどこのことばかり考えているんだ。この虐げられた人間のことばかり考えているんだよ、ほらを吹いていないかぎりはな。これからは、ほらを吹いたり、空威張りしたりしたくないもんさ。俺がそういう人間のことを考えるのは、つまり自分自身がそういう人間だからさ。 淫蕩にひたっているほうが楽しくていい。みんなはそれを悪しきざまに言うけれど、だれだってその中で生きているのさ、ただ、みんなはこっそりやるのに、俺はおおっぴらにやるだけだよ。この正直さのおかげで、世間の醜悪な連中に攻撃されるけれどな。 「僕が君たちみたいな鞄をさげていたころには、右手ですぐに出せるように、鞄を左側にさげていたもんだよ。君は鞄を右側にさげてるけど、それじゃ出しにくいだろ。」 アリョーシャは何らわざとらしい細工をこらさずに、いきなりこういう実際的な感想から話を切り出した。ところで、大人が子供の、それも特に子供たちのグループ全体の信用をいきなり博するには、これ以外の話の切り出し方はないのだ。必ず、まじめに、事務的に、しかもまったく対等の立場で話をはじめなければならない。アリョーシャは本能でそれを理解していた。 詩の一行一行を作るなんてことは、本質的に下らないことですよ。よく考えてごらんなさいまし。この世でいったいだれが韻をふんで話すというんです? それにもし、たとえお上の命令によってであろうと、わたしらがみんな韻をふんで話すようになったら、言いたいこともろくすっぽ言えないじゃありませんか。詩なんて実用的じゃありませんよ。 十二年に、今のフランス皇帝のお父さんに当たるナポレオン一世のロシア大遠征がありましたけどね、あのときあのフランス軍がこの国をやっつけてりゃよかったんですよ。賢い民族がおそろしく頭のわるい民族を制服して統合してくれてりゃね。そうすりゃ、まるきり違う制度になってたでしょうがね。 俺が今ここに坐って、自分に何と言っていたか、わかるかい。かりに俺が人生を信じないで、愛する女性にも幻滅し、世の中の秩序に幻滅し、それどころか、すべては無秩序な呪わしい、おそらくは悪魔的な混沌なのだと確信して、たとえ人間的な幻滅のあらゆる恐ろしさに打ちのめされたとしても、それでもやはり生きていきたいし、いったんこの大杯に口をつけた以上、すっかり飲み干すまでは口を離すものか! こう言いきかせていたのさ。もっとも、三十までには、たとえすっかり飲み干さぬうちでも、きっと大杯を放り出して、立ち去るだろうよ……どこへかは、わからないがね。でも、ちゃんとわかっているんだ、三十までは、どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪にも、俺の若さが打ち克つだろうよ。 生きていたいよ、だから俺は論理に反してでも生きているのさ。 「俺が泣くのは絶望からじゃなく、自分の流した涙によって幸福になるからにすぎないんだよ。自分の感動に酔うわけだ。春先の粘っこい若葉や、青い空を、俺は愛してるんだよ、そうなんだ! この場合、知性も論理もありゃしない。本心から、腹の底から愛しちまうんだな、若い最初の自分の力を愛しちまうんだよ……こんな愚にもつかない話でも、何かしらわかるかい、アリョーシャ、わからないか?」 ふいにイワンが笑い出した。 「わかりすぎるほどですよ、兄さん。本心から、腹の底から愛したいなんて、実にすばらしい言葉じゃありませんか。兄さんがそれほど生きていたいと思うなんて、僕はとてもうれしいな」 アリョーシャは叫んだ。 「この世のだれもが、何よりもまず人生を愛すべきだと、僕は思いますよ」 「人生の意味より、人生そのものを愛せ、というわけか?」 「絶対そうですよ。兄さんの言うとおり、論理より先に愛することです。絶対に論理より先でなけりゃ。そうしてこそはじめて、僕は意味も理解できるでしょうね。僕はもうずっと以前からそういう気がしてならないんですよ」 「俺には何もわからないよ」 イワンはうわごとでも言うようにつづけた。 「それに今は何もわかりたくないしな。俺はあくまでも事実に即していたいんだ。だいぶ前から理解なんぞしないことに決めたんだよ。何事かを理解しようとすると、とたんに事実を裏切ることになってしまうんで、あくまでも事実に即していようと決心したんだ……」 俺が苦しんできたのは決して、自分自身や、事故の悪行や苦しみを、だれかの未来の調和にとっての肥料にするためじゃないんだ。俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこうなっていたかを、突然みんなが悟るとき、俺はその場に居合わせたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に創造されているんだし、俺もそれを信じている。 わたしは工場で十歳くらいの子供たちを見たことがある。弱々しく痩せこけて、背が曲り、もはや性的に乱れているのだ。息苦しい建物、唸りひびく機械、終日の労働、卑猥な言葉、そして酒――まだ年端もゆかぬ子供の魂にこんなものが必要であろうか? 彼らに必要なのは太陽と、子供らしい遊び、いたるところで示される明るい手本、せめてほんの一滴なりと注がれる愛情なのである。 自己の意思でみずからはまりこんだ醜悪な泥沼が、あまりにも苦しくなったため、こんな場合の他の多くの人と同様、彼も転地の効果を何よりも信じていた。こんな連中さえいなければ、こんな環境でさえなければ、こんな呪わしい土地でから飛びだしさえすれば、何もかもが生れ変り、新しいスタートを切ることだろう! そのことを彼は信じ、それを渇望していた! 神がない以上、いかなる犯罪があるだろうか? 人間は最後には、今日のように美食とか、放蕩、傲慢、自慢、妬みにみちた出世競争などといった冷酷な楽しみではなく、啓蒙と慈悲の偉業の内に喜びを見出すようになる、これがはたして夢であろうか? 人はだれの審判者にもなりえぬことを、特に心に留めておくがよい。 全生涯に対して自己を処刑する。わが一生を処罰する! この世の人ってみんな、いい人ばかりね。一人残らずみんな。この世はすばらしいわ。あたしたちは汚れた身でも、この世はすてきだわ。あたしたちだって汚れていても、いい人間なのよ。汚れてもいるし、いい人間でもあるってわけ……いいえ、教えてちょうだい。あなたたちにききたいことがあるの。みんな、もっとそばに来て。じゃ質問するわ。みんなで教えてね。どうしてあたしって、こんなにいい人間なの? だって、あたしはいい人間でしょう、とてもいい人間だわ……だからさ。なぜあたしはこんなにいい人間なの? 偏見をもつ人間の目にどう映ろうと、自然界にはこっけいなものなんか何一つないさ。 たとえば、大人は劇場へ行くでしょう、劇場ではやっぱり、いろいろな人物の冒険を演じて、時にはやはり追剥ぎだの戦争だのが出てくることもある。だったら、これだって同じじゃありませんか、もちろん性質は違いますけど。休み時間に若い人たちが戦争ごっこをしたり、追剥ぎごっこをしたりするのも、やはり芸術の芽生えだし、若い心に芽生えかけた芸術欲ですよ。こういう遊びのほうが、往々にして、劇場の演し物よりうまくまとまってるものですよ、ただ違いと言えば、劇場へは役者を見に行くのに、こっちは若い人自身が役者だというだけでね。でも、それはごく自然なことでしょう」 「なんですって、それじゃ君は神を信じないんですか?」 「むしろ反対で、僕は神に対して何の異存もありませんよ。もちろん、神は仮説にすぎませんけど……でも……神が必要だってことは認めます、秩序のために……世界の秩序とか、その他もろもろのために……また、かりに神がなかったら、やはり考え出さなければならないでしょうしね」 「君もみんなと同じですよ」アリョーシャはしめくくった。 「つまり、大多数の人と同じなんです。ただ、みんなと同じような人になってはいけませんよ、本当に」 「みんながそういう人間でもですか?」 「ええ、みんながそういう人間でも。君だけはそうじゃない人間になってください。君は事実みんなと同じような人間じゃないんだから。現に君は今、自分のわるい点やこっけいな点さえ、恥ずかしがらずに打ち明けたじゃありませんか。今の世でいったいだれが、そこまで自覚していますか? だれもいませんよ、それに自己批判の必要さえ見いださぬようになってしまったんです。みなと同じような人間にはならないでください。たとえ同じじゃないのが君一人だけになってもかまわない、やはりああいう人間にはならないでください」 「あのね、コーリャ。それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよ」 突然どういうわけか、アリョーシャが言った。 「知ってます、知ってますとも。ほんとにあなたは何もかも前もってわかるんですね!」 すぐにコーリャが相槌を打った。 「しかし全体としての人生は、やはり祝福なさいよ」 「人間には犯罪を好む瞬間がありますからね」アリョーシャが考えこむように言った。 「そう、そうよ! あたしの考えをぴたりと言ってくださったわ。人間は犯罪が好きなのよ。だれだって好きなんだわ。そういう《瞬間》があるどころか、いつだって好きなのよ。ねえ、このことになると、まるでその昔みんなで嘘をつこうと申し合わせて、それ以来ずっと嘘をついているみたいね。悪事を憎むなんてだれもが言うけれど、内心ではだれだって好きなんだわ」 ただ、そうなったら人間はどうなるんだい? 神さまも来世もなけりゃさ? とすると、今度はすべて許されるんだな、何をしてもいいってわけか? もし神がいなければ、そのときはこの地上の、この宇宙のボスは人間じゃないか。結構なこった! ただ、神がいないと、どうやって人間は善人になれるんだい? そこが問題だよ! 俺はいつもこのことばかり考えているのさ。だって、そうなったら、人間はだれを愛するようになるんだい? だれに感謝し、だれに讃歌をうたえばいいんだい? ラキーチンは笑いやがるんだ。ラキーチンは神がいなくたって人類を愛することはできる、なんて言うんだ。しかし、そんなことを言い張れるのは洟たれ小僧だけで、俺は理解できんね。ラキーチンなら、生きてゆくのはたやすいことさ。今日だって俺にこう言いやがったぜ。「そんなことより、市民権の拡張のために奔走するほうが利口だぜ、さもなけりゃ、せめて牛肉の値段が上がらないようにでもな。哲学なんぞより、そのほうが手っ取り早く簡単に人類に愛情を示せるからね」だから俺もお返しにこう言ってやったよ。「神がいなけりゃ、そういう自分がまず手当たりしだに牛肉の値をつりあげて、一カペイカ分で一ルーブルも儲けるくせに」あいつ怒ったぜ。だって、善行とはいったい何だい? 教えてくれよ、アレクセイ。俺には俺の善行があるし、支那人にはまた別の善行がある。とすれば、つまり、相対的なものなんだな。違うかい? 相対的じゃないのかね? ややこしい問題だぜ! この問題で俺がふた晩眠れなかったと言っても、笑わないでくれよ。今の俺には、世間の連中が平気で生きていて、この問題を何一つ考えないのが、ふしぎでならないんだよ。むなしいもんさ! べつに嘘をついてるわけじゃない。すべて真実さ。残念ながら、真実ってやつはほとんど常に、ピントはずれなものだからね。 そりゃ、もちろん、人間たちは苦しんでいるよ、しかし……その代り、とにかく生きているじゃないか、幻想の中でじゃなく、現実に生きているんだ。なぜなら、苦悩こそ人生にほかならないからね。苦悩がなかったら、たとえどんな喜びがあろうと、すべては一つの無限なお祈りと化してしますことだろう。それは清らかではあるけど、いささか退屈だよ。 「何ですと、わが娘よ、それじゃまたふしだらなことをしたんだね?」神父が叫んだ。 「ああ、サンタ・マリヤさま、何ということだ。今度は違う相手とだって。それにしても、いつまでこんなことがつづくんだね、よく恥ずかしくないものだ!」 「まあ、神父さま」罪深い娘は後悔の涙をうかべて答えたんだ。 「あの人はとても喜びますし、あたしだってそれほどつらくはありませんもの!」 ええ、どうだい、この返事は! これには僕も負けたよ。これは自然そのものの叫びだ、これはもう純潔よりもっと立派だよ! 知ってるかい、俺は決して自殺できない人間なんだよ、アリョーシャ! 卑劣なためと思うか? 俺は臆病者じゃない。生きていたいという渇望のためさ! 良心! 良心とは何だい? そんなものは自分で作りだしてるのさ。じゃ、なぜ苦しむのか? 習慣さ。世界じゅうの人間の七千年来の習慣出だよ。だから習慣を忘れて、神になろうじゃないか。 君は善の偉業をなしとげに行こうとしているが、そのくせ善を信じちゃいない。それが君を怒らせ、苦しめるんだ。だからそんなに復讐心を燃やしてるのさ。 これは大いにありうることで、こんな瞬間には常に犯人にありがちのことだからです。一方では悪魔のような計算を働かせ、もう一方では思慮が欠けているのです。 父たる者よ、なんじの子供らを悲しませるな。 われわれはこの地上にしばらくの間しかいないのに、数多くのよからぬことをし、よからぬ言葉を口にします。ですから、みなが一堂に会したこの絶好の機会を捉えて、よい言葉をお互いに語ろうではありませんか。 そう、われわれがまずみずからキリストの遺訓を実行し、そのうえではじめて子供たちにも求めることができるのです。それでなければ、われわれは父親ではなく、子供たちの敵であり、彼らもわれわれの子供ではなく、敵にほかなりません。そして彼らを敵にしてしまったのは、われわれ自身なのです! ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません! 何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです! 『地下室の手記』 賢い人間が本気で何者かになることなどできはしない、何かになれるのは馬鹿だけだ。 ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これはもう人間の全生涯だ。老齢もいいところだ。四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ! だれが四十歳以上まで生きているか、ひとつ正直に、うそいつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、馬鹿と、ならず者だけである。 僕の深く確信するところによれば、たんに意識の過剰ばかりでなく、およそいっさいの意識は病気なのである。ぼくはこう主張したい。 絶望のなかにこそじんと灼けつくような快楽がひそんでいることだって多いのだ。とくに、どこへどう逃れようもないような自分の状況を痛切に意識するときなんかは、なおさらである。 肝心の点は、どう頭をひねってみても、結局のところは、万事につけていつもぼくがまっさきに悪者になってしまう、しかも、何より癪にさわるのは、そいつが罪なき罪といつやつで、いわば、自然の法則でそうなってしまうことなのだ。まず第一に、ぼくが周囲のだれよりも賢いのがいけない、ということになる。 ぼくはいつも、自分が周囲のだれよりも賢いと考えてきた。そして、ときには真に受けていただけるかどうか知らないが、それをうしろめたく感じさえしたものだ。すくなくともぼくは、生涯、いつもどこかそっぽのほうを見ていて、人々の目をまともに見られたことがない。 ところでぼくは、ほかでもない、そういう直情型の人間こそ、本来の意味での正常な人間、つまり、慈母のごとき自然がご親切にもこの地上に最初の人間を生み落とすにあたって、かくあれかしと願ったような人間なのだと思う。こういう人間を見ると、ぼくはむしょうに羨ましくなる。なるほど、こういう人間は頭が弱い。その点、僕にも異議はない。しかし、もしかしたら、正常な人間はもともと頭が弱いものかもしれない、そうでないとだれに言えよう? いや、もしかしたら、これは実に美しいことなのかもしれない。 きみにとって、きみ自身の脂肪の一滴は、本質的には他人の脂肪の数十万滴よりも貴重なものであるはずだから、したがって、いわゆる善行とか義務とかいったさまざまな妄想や偏見も、結局のところは、すべてそこに帰着するのだ。 ああ、諸君、ぼくが自分を賢い人間とみなしているのは、ただただ、ぼくが生涯、何もはじめず、何もやりとげなかった、それだけの理由からかもしれないのである。いや、ぼくは饒舌家でかまわない、みんなと同じただの饒舌家、毒にも薬にもならない、いまいましい饒舌家であってかまわない。しかし、どうしようがあろう。もし世の賢い人間の第一の、そしてただひとつの使命が饒舌であるとしたら。つまり、みすみす無の内容を空のうつわに移しかえることでしかないとしたら。 ぼくは、人間というやつのいちばんぴったりした定義は、二本足の恩知らずな動物――これだとさえ考えている。 結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ! 意識的な惰性がいちばん! だから地下室万歳! というわけである。ぼくは正常な人間を見ると、腸が煮えくり返るような羨望を感ずると言ったけれど、現にぼくが目にしているような状態のままでは、正常な人間になりたいとはつゆ思わない(そのくせ、ぼくは彼らを羨むことをやめるわけではない。いや、いや、地下室のほうがすくなくとも有利なのだ!) きみには真実はあっても、純真さが欠けている。 ぼくは現代の知的人間にふさわしく、病的なまで知能が発達していた。ところが、やつらときたら、どいつもこいつも鈍感で、しかも、まるで羊の群れのように、おたがい同士そっくりなのだ。 当時のぼくは、もうひとつ、別のことにも苦しめられていた。ほかでもない、だれひとりぼくに似ている者がなく、一方、ぼく自身もだれにも似ていない、ということである。<ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる>、ぼくはこう考えて、すっかり考え込んでしまったものだ。 ぼくらの学校に入ると、顔つきまでが何か奇妙に間が抜けてきて、人が変わったようになるのだった。何人かの美少年がぼくらの学校に入ってきたかもしれない。ところが数年も経つうちに、見るのもいやらしいような顔つきになっていくのだ。まだ十六歳の少年だったくせに、もうぼくは気むずかしい目で彼らを眺めては、内心、呆れ返っていた。すでに当時から、彼らの考え方の浅薄さが、彼らの勉強や、遊びや、会話の馬鹿馬鹿しさが、ぼくにはふしぎでならなかった。必要不可欠なことについてさえ理解がなく、感動し、驚嘆して当然と思えることにさえ関心を示そうとしない彼らを、ぼくは知らず知らず、自分より一段下の人間と見るようになった。傷つけられた自尊心がぼくをそんな気持ちにさせたのではない。また、お願いだから、もう胸がむかつくくらい聞きあきた紋切型の反論をぼくに並べたてることもよしてほしい。<おまえは空想していただけだが、彼らはそのころすでに現実生活を理解していたのだ>などと。彼らは現実生活どころが、何もわかっちゃいなかった。そして、誓ってもいいが、そのことがぼくのいちばん癪にさわった点なのである。そのくせ彼らは、どうしたって目につかぬわけのない一目瞭然の現実をさえ途方もなく馬鹿げたふうに受け取って、もうそのころから、世間的な成功だけに目がくらんでいた。たとえ正義であっても、辱められ、虐げられているものに対しては、恥知らずにも冷酷な嘲笑を浴びせた。 ところで、ひとつ現実に返って、ぼくからひとつ無用な質問を提出することにしたい。安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか? というわけだ。さあ、どちらがいい? 『罪と罰』(前半消失) 真に偉大な人々は、この世の中に大きな悲しみを感じ取るはずだと思うよ。 俺は人間を殺したんじゃない、主義を殺したんだ! 俺はただ〈全体の幸福〉のくるのを待ちながら、一ルーブリぽっちの金をポケットの中ににぎりしめて、飢えた母親のそばを素通りしたくなかっただけだ。 ぼくはきみに頭を下げたんじゃない、人類のすべての苦悩に頭を下げたんだ。 |