ノルウェーの森 東京奇譚集 神の子どもたちはみな踊る 世界の終わりと
ハードボイルドワンダーランド
風の歌を聞け 羊をめぐる冒険 1973年のピンボール ねじまき鳥クロニクル





『ノルウェーの森』


他人には何も教えずに自分一人で物事を管理することに無上の喜びを感じるタイプの俗物なのだ。

It's all right now, thank you. I only felt lonely, you know.

現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い。

他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ知ってるか、ワタナベ? この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ。

ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席したのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。何故ならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいはつるし上げたのだ。僕は彼らのところに行って、どうしてストを続けないで講義に出てくるのか、と訊いてみた。彼らは答えられなかった。答えられるわけがないのだ。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。 おいキスギ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

9月の第2週に、僕は大学教育というのはまったくの無意味だという結論に到達した。そしてそれを退屈さに耐える訓練期間として捉えることに決めた。今ここで大学をやめたところで社会に出て何かとくにやりたいことがあるわけではないのだ。僕は毎日大学に行って講義に出てノートを取り、あいた時間には図書館で本を読んだり調べものをしたりした。

あれは努力じゃなくてただの労働だ。俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に、目的的になされるもののことだ。

自分に同情するな、自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。

ぱたぱたという大きな音をたてて新聞社のヘリコプターがやってきて写真を撮って帰っていった。

私もかなり音楽的な勘はある方だと思うけれど、その子は私以上だったわね。惜しいなあと思ったわよ。小さい頃から良い先生についてきちんとした訓練を受けてたら良いところまでいってたのになあってね。でもそれは違うのよ。結局のところその子はきちんとした訓練に耐えることができない子なのよ。世の中にそういう人っているのよ。素晴しい才能に恵まれながら、それを体系化するための努力ができないで、才能を細かくまきちらして終わってしまう人たちがね。私も何人かそういう人たちを見てきたわ。最初はとにかくもう凄いって思うの。たとえばものすごい難曲を楽譜の初見でバァーッと弾いちゃう人がいるわけよ。それもけっこううまくね。見てる方は圧倒されちゃうわよね。私なんかとてもかなわないってね。でもそれだけなのよ。彼らはそこから先に行けないわけ。何故いけないか? 行く努力をしないからよ。努力する訓練を叩きこまれていないからよ。スポイルされているのね。下手に才能があって小さい頃から努力しなくてもけっこううまくやれてみんなが凄い凄いって賞めてくれるものだから、努力なんてものが下らなく見えちゃうのね。他の子が3週間かかる曲を半分で仕上げちゃうでしょ、すると先生の方もこの子はできるからって次にいかせちゃう。それもまた人の半分で仕上げちゃう。また次に行く。そして叩かれるということを知らないまま、人間形成に必要なある要素を落っことしていってしまうの。これは悲劇よね。まあ私にもいくぶんそういうところがあったんだけれど、幸いなことに私の先生はずいぶん厳しい人だったから、まだこの程度ですんでるのよ。







『東京奇譚集』


忘れっぽいことは問題じゃないんです。忘れることが問題なんです。

結局のところ自分は、つまらいものをたくさん手にしながら、人生のもっとも大事なものを逃し続ける人間なのかもしれない。







『神の子どもたちはみな踊る』


この世の人生は束の間の苦しい夢に過ぎない。

生きてるときには多少の差はあるけれど、死んだらみんな同じだ。使い捨てられた肉の抜け殻だ。







『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』


私は大きな組織というのがどうも苦手なのだ。融通がきかないし、手間と時間がかかりすぎる。頭の悪い人間が多すぎる。

学校教育というのは十六年間かけて脳味噌を擦り減らせるだけのところだって祖父は言ってたわ。

彼らが望んでおったのは完全な発想の転換でした。既成の方式の複雑化やソフィスティケーションではなく、根本からのドラスティックな転換でした。そしてそういう作業は大学の研究室で朝から晩まで働いて下らん論文書きに追われたり給料の計算をしておるような学者にはできっこないです。真の独創的な科学者というものは自由人でなくてはならん。

考えていられる時間はもう殆ど残っていないけれど、もし仮に好きなだけ長く考えることができたとしても、出てくる結論はやはり同じことだと思う。結論はもう出ているんだ。

老人たちは日曜日の午後を雑誌閲覧室で雑誌を読んだり、四種類の新聞を読んだりして過すのだ。そして象のように知識を溜め込んで、夕食の待つ我が家へと帰っていくのだ。







『風の歌を聞け』


完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。







『羊をめぐる冒険』


僕は二十九歳で、そしてあと六ヶ月で僕の二十代は幕を閉じようとしていた。何もない、まるで何もない、十年間だ。僕の手に入れたものの全ては無意味だった。僕がそこから得たものは退屈さだけだった。最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。しかしそこにはたしか何かがあったのだ。僕の心を揺らせ、僕の心を通して他人の心を揺らせる何かがあったのだ。結局のところ全ては失われるべくして失われたのだ。それ以外に、全てを手放す以外にぼくにどんなやりようがあっただろう?

「子供のことを考えろよ」と僕は言ってみた。フェアな展開ではないが、それ以外に手はなかった。「弱音を吐いてなんていられないだろう。君が駄目だと思ったら、それでもうみんなおしまいなんだぜ。世界に対して文句があるんなら子供なんて作るな。きちんと仕事をして、酒なんか飲むな」







『1973年のピンボール』


新しい住民の殆んどは中堅どころのサラリーマンで、朝の五時過ぎに飛び起きると顔を洗うのももどかしく電車に乗り込み、夜遅くに死んだようになって戻ってきた。

金星は雲に被われた暑い星だ。暑さと湿気のために住民の大半は若死する。三十年も生きれば伝説になるほどだ。そしてその分だけ彼らの心は愛に富んでいる。全ての金星人は全ての金星人を愛している。彼らは他人を憎まないし、うらやまないし、軽蔑しない。悪口も言わない。殺人も争いもない。あるのは愛情と思いやりだけだ。「たとえ今日だれが死んだとしても僕たちは悲しまない」金星生まれの物静かな男はそう言った。「僕たちはその分だけ生きてるうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね」「先取りして愛しておくってわけだね?」「君たちの使う言葉はよくわからないな」彼は首を振った。「本当にそう上手くいくのかい?」と僕は訊ねてみた。「そうでもしなければ」と彼は言った。「金星は悲しみで埋まってしまう」

一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入り口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

「考え方が違うから闘うんでしょ?」と208が追求した。「そうとも言える」「二つの対立する考え方があるってわけね?」と208。「そうだ。でもね、世の中には百二十万くらいの対立する考えがあるんだ。いや、もっと沢山かもしれない」「殆んどだれとも友達になんかなれないってこと?」「多分ね」と僕。「殆んどだれとも友達になんかなれない」

僕の顔も僕の心も、誰にとっても意味のない亡骸にすぎなかった。僕の心と誰かの心がすれ違う。やあ、と僕は言う。やあ、と向うも答える。それだけだ。誰も手を上げない。誰も二度と振り返らない。もし僕が両耳の穴にくちなしの花をさして、両手の指に水かきをつけていたとしたら何人かは振り返るかもしれない。でもそれだけだ。三歩ばかり歩けばみんな忘れてしまう。彼らの目は何も見てなんかいないのだ。そして僕の目も。僕は空っぽになってしまったような気がした。もう誰にも何も与えることはできないのかもしれない。

さあ考えろ、と鼠は自らに言いきかせる、逃げてないで考えろよ、二十五歳……、少しは考えてもいい歳だ。十二歳の男の子が二人寄った歳だぜ、お前にそれだけの値打があるかい? ないね、一人分だってない。ピックルスの空瓶につめこまれた蟻の巣ほどの値打もない。……よせよ、下らないメタフォルはもう沢山だ。何の役にも立たない。考えろ、お前は何処かで間違ったんだ。思い出せよ。……わかるもんか。







『ねじまき鳥クロニクル』


でも僕は僕なりによく働いたと思う。自分で言うのも変かもしれないが、そういった実際的な職務の遂行に限っていえばかなり有能な人間だったと思う。理解は速いし、行動はてきぱきしているし、文句は言わないし、現実的なものの考え方をする。

最近いつもそのことを考えるの。きっと毎日暇なせいね。何もすることがないと考えがどんどんどんどん遠くまで行っちゃうのよ。考えが遠くまで行きすぎて、うまくあとが辿れなくなるの。

「すごいじゃない」と妻は言った。彼女の言い方にはどことなく、良い成績を取った子供を褒めているような人工的な響きがあった。

僕の見た限りでは、彼女は自分の目に見える範囲を越えた物事に対してはどのような意見も持っていなかった。

僕らはみんなただの不安定で不器用な肉のかたまりにすぎない。

私はまだ十六だし、世の中のことをあまりよくは知らないけれど、でもこれだけは確信をもって断言できるわよ。もし私がペシミスティックだとしたら、ペシミスティックじゃない世の中の大人はみんな馬鹿よ。

僕は今、あまり筋の通った一般論を聞きたい気分ではないんです。僕はどちらかというと、途方に暮れているんです。本当に途方に暮れています。そして嫌な予感がするんです。でもどうすればいいのか、さっぱりわからない。いいですか、僕はこの電話を切ったあと何をすればいいのかもわからないんだ。僕が欲しいのはどんな小さなつまらないことでもいいから、具体的な事実なんです。わかりますか? 目で見ることができて、手でたしかめることのできる事実です。

僕は詰まらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩き返します。そのことはちゃんと覚えておいた方がいいですよ。

何も考えないためには、いろんなことをちょっとずつ考えればいい。いろんなことをちょっとずつ考えて、そのまま空中に放してしまえばいいのだ。

彼女は勉強が嫌いなわけではなかったが、高等学校で教えられる一般の学科にはほとんど興味が持てなかった。歴史の年号やら英語の文法やら幾何の数式やらを頭に詰め込むことが、自分の役に立つとはどうしても思えなかったのだ。何か実際的な技能を身につけて一日でも早く自立すること、それがナツメグの望みだった。のんびりと高校生活を楽しんでいるクラスメートたちからは、彼女はあまりにも遠く離れたところにいた。

私はある意味ではほかの人たちとは違うんだ。だから違った生き方をするしかないんだ。

僕は死んでいこうとしていた。この世界に生きているほかのすべての人たちと同じように。






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